パノラマ評、その前に。
今年のパノラマについて、
お話しするその前に。
カーニバルは毎年、同じようで、
いざ蓋をあけてみると、毎年まったく違っている。
まるでカーニバルの準備をするあいだ、
街に、会場に、作品に、
揮発性のガスをいっぱいに充填しているかのように、
そのときになって、
カーニバルをはじめてみないと、
火を放ってみないと、
その燃え方はわからない。
カーニバルに投じられたら作品も人々も、
それを受けとめる街も会場も、
必ず変化する。
準備していたとおりではない、
必ず引火したように劇的に変化する。
それが、
カーニバルのパワー。
街に、作品に、人々に、どんなふうに引火するのか、
どんなタイミングで、
どんなふうに燃えるのか、
炎が放たれたその瞬間の風景を、
その場所に立って眺めること、
今年のもようを確認すること、
そのことそのものに、
「祭り」としての意味がある。
もりあがっても、つまらなくても、
それでいい。
日常に潜む気配を、
いつも感じているようでまるで感じられない不気味な気配を、
カーニバルとゆう炎で毎年、
あぶりだされるのを、
人々は肌で感じて今を掴もうとする、
それが「祭り」の本当の正体だと思う。