大家さんその1
大家さんというか、
今年、トリニで宿泊した2ヶ所のホストさんは、二人とも興味深い人でした。自分で宿を探し始めて実感するのですが、強烈に困ってると、強烈に人生にご縁がありそうな人を引き寄せる。新しい出会いだけれど、これは必然だったんだなと感じさせられます。
そんな二人の”大家さん”を1人ずつご紹介したいなと思います。
まずは、ベルモントのお家に泊まったときのエアビーのホストさんです。
そこは大学生のシェアハウスみたいなところでした。そのお部屋のホストさんの専攻は人権問題で、特に女性の人権問題やLGBTに関して学び、国内で啓発活動もしているようでした。
その彼女が教えてくれたのですが、
彼女は麻美事件があったとき、抗議デモを主催した3人のうちの1人だったそうです。
正しくは、麻美事件のあとにコメントした市長の不適切発言↓
“The woman has the responsibility to ensure that [she is] not abused.”
『その女性(麻美)には、被害に合わないように振舞う責任がある(あった)』
これに対するデモ。
そのときの市長さんだけでなく、トリニダード・トバゴの(とくに年配の)男性には少なからずこの考え方が一般的だったような気もしますが、
要は”危ない目に合わないように自分を守らなかった自分が悪い”という内容の発言。この記事や当時の新聞記事を読んでも市長自身が名言したワケではなさそうなんですが、麻美はカーニバルの衣装のまんま遺体で発見されていて、”そういう格好でウロウロしてたら殺されても当然”というニュアンスで受け止めらても仕方がない発言だったので、
当時、麻美事件の解決そっちのけで世間の関心は市長の不適切発言に大きくシフトされてしまい、結局は辞任に追い込まれたわけですが、友達が死んだのに、事件が政治的な関心にすり替えられてしまったことに、正直とても違和感がありました。
市長が辞任しても、麻美が生きて帰ってくるワケでもなければ、犯人が捕まったりもしなかったので。
その、わたしがよく理解できないまま世間が騒がしくなったあのときの、抗議デモをしてた当事者に、3年の月日が経って、どういうご縁か巡り合ったのです。
彼女が教えてくれた当時の記事↓を読むと、
遺体で発見されたのは水曜日、市長の発言はそのすぐ後にあって、それに抗議して総理大臣に市長の辞任を求める嘆願書を提出するための署名を、土曜日までに1万人分も集めたそうです。人口のそんな多くないトリニダードでそれだけの数の署名がすぐに集まるなんてそれだけでもオドロキなんですが、
市長に謝罪させ、辞任に追い込み、翌金曜日には100人以上を集めてダウンタウンの中心にある公園で抗議デモを起こしたそうです。
ひとつのテーマ”どんな服装でもどんな振る舞いをしていても暴力を受けても仕方がない理由にはならない”に絞って、抗議だけでなく、もっと国の政策として人権教育に取り組むための具体策をいくつか提案したとのことで、
仕事が速いっていうか、行動力がすごくある。
この記事は、彼女たちのこの行動力や提案力を高く評価しています。
日本では、どうだったんだろう。
麻美事件から1週間ほどでわたしは混乱のトリニダード・トバゴを離れ、この抗議集会の頃には、エリーマネットさんにお会いするためにアメリカに滞在していたので、
事件後の、日本国内での反応もあまり把握はしていないのですが、
まったく無関係で、麻美のことをまったく知らないようなユーチューバーやブロガーの、勝手な批判ばかりが目立っていたような気がします。
麻美事件や市長の発言に対する、日本の女性人権団体による声明や抗議はあったんでしょうか? 日本人が外国で軽々しく殺されただけでなく、そのうえに命を踏みにじるような心無い発言を正論として浴びせかけられた、そのことに対して、反応はあったのでしょうか?
麻美が関係していたバンドはいくつかあったハズなのに、関係者の個人的な遠回しなお悔やみ発言はあっても、どのバンドも、バンドとして麻美事件に向き合った発言がポストされたことは、今もまだないような気がします。
その凍りついて何もできないし何もしようとしない日本的な反応にも、とても違和感があります。
事件当時は、
トリニダード・トバゴ国内で、事件が政治的な話題にすり替えられて大騒ぎしてることに強烈な拒絶感があったのですが、
その行動を起こした張本人にお会いして、そのときの真相を知ることができると、そのときにできることに最大限に真剣に向き合ってくれていたんだなということが理解できて、
3年経って少しは気持ちの整理もできました。
事件直後の混乱と奇異の目に晒されて、自分自身も被害者である気さえしていたので、
当時、素早く行動を起こしてくれたことに対して感謝の気持ちさえあります。
この出会いを通して、もう1度こうしてわたしの気持ちを文章にすることで、再度、この事件について、日本にいるみなさんにも思い返していただければなと思います。